認知症ケアのプロなら必ず習得すべき、当事者の世界に寄り添う技術
介護施設では、認知症の方と接する機会が多くあります。ただ、認知症の方の行動に関してお困りの方も多いのではないでしょうか。今回は、帰宅願望が強い女性の事例から、認知症のケアをする上で必ず習得しておくべき技術について解説していきます。入居者にとっても、介護スタッフにとってもプラスになるエッセンスを学んでいきましょう。
「家に帰りたい」と繰り返し発言する秀美さん
重度の認知症と診断された秀美さん(仮名・80代前半)は、施設に入所してちょうど半年になります。普段は施設内の食堂で車椅子に座り、眠って過ごしていることが多い秀美さんですが、ふと目を覚ませば決まって同じ発言をするのです。
「私ね、家に帰りたいの」
転倒リスクがあるにも関わらず、そう言って車椅子から立ち上がろうとしてしまうため、施設内でもスタッフが注意して見守りを行っていました。秀美さんは帰宅願望が非常に強く、近くを通りかかる人を見つけては、1日に何度も家に帰りたいと発言していました。
施設内の介護スタッフは入居者の排泄や食事の介助に追われ、食堂で過ごす秀美さんを見守り続けるための人員を確保するだけでも精一杯の状況でした。
さらに、施設利用者の入浴介助がある曜日になると、スタッフの目がますます届かなくなります。介護スタッフのマンパワー不足という点でも、なかなか見守り続けることが難しい状況だったのです。
施設のスタッフは、次第に秀美さんの帰宅願望に対して丁寧に対応することが困難になっていきました。
頭では理想的な対応を思い描いていても、無意識のうちに多くのスタッフが家に帰れないことを簡単に伝えるだけの対応をしていたのです。
そうすると秀美さんの不安は助長されていく一方でした。秀美さんの不安が強まると、ますます椅子からの立ち上がり回数は増加。転倒の危険性があることから、介護スタッフが常時近くで見守りや声かけをしなければならない状況に陥っていました。
相手が感じている世界に寄り添うこと
秀美さんが毎日帰りたいと発言することは、よく考えるとごく自然なことです。
重度の認知症を患う秀美さんにとって、施設は知らない場所も同然だからです。
よく知らない場所にいて、理由もわからず自宅に帰れなくなったとしたら、誰でも同じように帰りたいと話すことでしょう。
認知症の方では徘徊などのBPSD(周辺症状)が見られることがありますが、そもそもこうした行動上の現象を問題と捉えることは誤りなのです。行動の背景には、必ずその人が感じている世界があります。
介護において帰宅願望の強い認知症の方と接する上で大切なのは、本人が体感している世界に寄り添うことです。例えば、家に帰りたいという発言が聞かれた場合は、次のように関わることで安心感を与えます。
「秀美さん、今日はここに泊まっていっていいんですよ」
「今日はもう遅いので、明日にしませんか。晩御飯も用意していますよ」
このように、当事者が感じている世界に共に入ることを意識するだけで、秀美さんの行動は落ち着いていきます。私がこのように秀美さんに声かけをしたところ、秀美さんは次のように発言しました。
「いいの?親切にしてくれてありがとうね」
「お姉ちゃん優しいね。ありがとう」
そうするといつもの不安そうな表情はなくなり、家に帰りたいという発言は明らかに減少しました。また翌日になると同じように帰宅願望が出てしまいますが、少なくとも関わりを変えるだけで介護スタッフが常時見守らなければならない状況は改善されたのです。
また、頭の中で帰りたいということばかり考えていると不安が増強されるため、話題を変えてみることも効果的です。回想法を兼ねて、昔の話をしてみることも安心感に結びつきます。関わり方次第で、秀美さんの行動は大きく変わっていきました。
なお、スタッフ間で秀美さんに対する効果的な関わり方を共有するところまでが大切なプロセスです。どのような関わり方が有効であるかは、理論に基づき一般化して考えることも大切ですが、やはり個別性を重視していくことも欠かせません。秀美さんにとって、どのような関わりが安心につながるのか、スタッフ間で情報をシェアすることも大切な仕事です。
関わり方を見直したことで、秀美さんが不安から解放される時間は確かに増加しました。また、介護スタッフにとっても秀美さんの言動に悩まされることが減り、双方にとってプラスになる結果となりました。たった少しの声かけ次第で、認知症の方の行動はこれほどまでに変わることがあるのです。認知症では、非薬物療法によってBPSDを含む行動上の課題を解決できる可能性が十分にあるでしょう。
習得したい!分析スキルをアップさせるテクニック
介護においては、心理的に寄り添う技術が求められます。やり方が悪いと、どんな声かけをしても場当たり的に誤魔化しているようにしか聞こえません。
認知症の有無に関わらず、人はそういった部分を敏感に察知するものです。
1980年代に英国で提唱された、パーソン・センタード・ケアという考え方があります。
これは、認知症がある方を1人の人間として尊重することに重きを置いた概念です。古い概念ではありますが、現在の介護でも大いに活かすことができる視点の1つです。認知症である以前に、その人独自の要因にフォーカスすることで良い関わりができるというものです。
認知症の方の行動は、いくつかの要因から影響を受けるといわれています。これらの要因の相互作用があってこそ、人の行動が生じるという考え方です。脳の障害・性格・生活歴・健康状態・社会心理的要因の5つの視点で入居者の行動を分析するテクニックは非常に有用です。
例えば、毎日徘徊する認知症の男性がいたと仮定します。
その方の性格や生活歴を紐解いてみると、仕事第一で生きてきた方で、仕事をしなければならないという思いを持っているのかもしれません。
また、脳機能的な観点でいえば、記憶を司っている海馬を中心として、脳が萎縮していることが考えられます。前頭葉が萎縮していれば、感情や行動をコントロールする力が落ちるため、そうした脳の変化によって徘徊行動が助長されている可能性があります。
心理社会的な側面からは、周囲に馴染みの人や物が全くない状態で、落ち着かないために徘徊しているのかもしれないと仮説を立てることがでしょう。
認知症の方をケアしていく上では、このように行動の背景にある要因を多角的に観察、分析することがポイントになります。常に行動の背景にある理由を考えながら対応することで、本質的な意味で入居者に寄り添ったケアを実現できることでしょう。日々のケアの中で、多角的に観察や分析を行うスキルを身につけていきたいところです。
限られた時間でよりよいケアを行うために
介護施設ではマンパワー不足であることが多く、なかなか理想のケアを実現できずにいる方も多いかもしれません。
特に認知症の方のケアには時間もエネルギーも必要になるものですが、少し関わり方を見直すだけで双方にとって恩恵があります。
目の前の入居者がなぜその行動に及んでいるのか分析しながら接することで、本質的に寄り添ったケアを実現できるでしょう。