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介護職員だからこそ知っておきたい、看取り時期の4つの兆し

介護職員としてのキャリアを続けていると、必ずといって良いほどに避けられないものがあります。それが「看取り」です。今回はより、介護職員が入居者さんの最期をきちんと看取るために知っておきたい看取り時期を知らせる4つの兆しについて解説します。

いつか必ずくる時に介護職としてできること

介護職だから知っておきたい、本当の「看取り」とは

護職だから知っておきたい、本当の「看取り」とは

生老病死は人間には避けられない道です。
高齢化も急激なスピードで進んできており、日本は2007年に超高齢化社会に突入しました。
多様化が叫ばれる昨今、人それぞれ、多種多様に生きてきても、年を重ねていくうちに誰しも一度は「最期をどこで迎えたいか?」というテーマについて考えたことがあるのではないでしょうか。
統計によると「自宅で亡くなりたい」が圧倒的に多いですが、ほとんどが病院で亡くなっています。
2009年、筆者は勇美記念財団の助成により、北海道帯広市にて上記の問いについて調査を行いました。
その調査の結果、希望通り自宅で亡くなられたのはごくわずかで、その割合は3%でした。
しかし、最近は入院期間も短くなり、長期入院が難しくなりました。そうなると在宅で介護できない方はどうするのか?という問いが残ります。

その答えはすなわち、施設に入居するしか方法がないのです。
施設形態も介護保険施行後変化し、認知症に特化したグループホームや、サービス付き高齢者住宅、有料老人ホームなど、どんどん民間企業(介護業界ではない企業)が進出してきており、福祉・介護に競争原理が発生し、小さい施設やヘルパーステーションなどの介護事業所は大企業に飲み込まれ淘汰されてしまいました。
社会保障が今後も増え続けることは避けられない事実であり、在宅での看取りが難しくても施設で最期を迎えたい、という方が増えてきています。

実際、介護保険施設では看取りの対応をしてくれる施設も増えてきています。看取りをすることにより介護報酬の加算が算定できるのですが、看取りはその加算には見合わないという側面も忘れてはなりません。

なぜなら、常に終末期を迎える方に対して他の入居者に対応しながら24時間体制で観察する必要がありますし、少しも息をつけません。それでも看取りを施設で対応するのは報酬だけではないニーズがあるのだと思います。
このことは数年前から注目されてきています。

昔は訪室したら亡くなっていた、などのケースはありましたが、それは偶発的な「自然死」で本来の看取りは違います。
看取りは入居者さんや家族の要望により実施されます。最後まで治療を継続させたい家族の方もいます。それも選択肢であり、その際は救急搬送するわけです。そうではなく、自然に任せて亡くならせてあげたいという家族のニーズは増えてきています。
しかし、いつ亡くなるか分からない入居者を看取るわけですから、後からトラブルがないよう予め書面で内容を確認してもらい、署名してもらうことから始まります。

そこから、看取り看護・介護が始まるわけです。看取りには看護的処置も必要なので看護師に目が行きがちですが、普段対応するのは介護職です。そのため私は介護職が中心で、看護師は補佐的な役割だと認識しています。
それでは看取りについて説明していきます。

「看取り」の兆しとは

「看取り」の兆しとは

看取りの合図として、下記が挙げられます。
●食べる量が減って、体重が減り、反応が鈍くなる。
●眠っていることが多くなる
 → 眠ってしまって反応がない、過呼吸と無呼吸を繰り返す
 → 生命維持の司令塔(呼吸中枢)にも時々、酸素不足の影響が及んだ状態
●脈が弱くなる
 →足先が冷たくなる(チアノーゼ)
 (心臓から遠いところから順に血液が届かなくなる)
●喘ぐような呼吸(下顎呼吸になる)
 →呼吸中枢にも酸素が届かなくなる。

最期に少しでも多くの酸素を肺に取り入れ込もうとするのは、生理的反応です。
しかし、意識を司る大脳にはもう酸素は届いていません。すなわち、意識はもうないのです。“夢の中”にいる状況です。
この症状が必ずでるわけではありませんが、おおよそ以上が死にむかう4段階です。
介護者や家族の方がこの様子をみるのは正直辛いです。

そのため、途中で気持ちが変わり、延命治療のために入院したいと要望する家族の方もいます。
それが当然であるとも言えます。
自分の父だったら、母だったら、と考えると、目の前の現実に畏怖を感じてしまうのは至極当然の反応ではないでしょうか。
事前に入居者本人から「ここで死にたい」と希望があればよいのですが、急変し、意識もなくなり受け答えができない状況に変化することも多く、家族の方も混乱する事がしばしば起こります。
目の前での状態を理性的に受け止めて、入居者に無用な苦痛を与えないようにするためには、事前に一見修羅場のように見えても、実際は苦しくない、当たり前の最後の幕が下りていることを理解してもらう準備が必要です。
しかし、この準備が整わないうちに終末期を迎える入居者の方もたくさんいらっしゃいます。

そのため、看取りもさまざまあり、最低限のことはしてほしい(栄養補給や点滴・酸素吸入くらいはしてほしい、など)という場合もあり、あるいは反対に一切何もせずに(栄養も点滴も不要)自然のままで逝かせてほしい、との要望もあります。
その点は個々の考えにもよりますので、事前に家族の方から確認、了解を取ることがとても大切になります。

この看取りの看護・介護は、入居者の最期の場所、家族の方の最後の別れになります。
そのためには、看護師、介護職は「看取り」とは何かを十分学習する必要があります。
家族の方との信頼関係構築もとても大切で、家族の方が「ここなら最後の場所になってもいい」と安心感を与えることが重要です。家族の方も人間です。迷いが生じることがあるでしょう。そのたびに家族の方に寄り添い励ましあうことも時には必要になってくるのです。失敗は許されません。

生命の終わりを受け止めるということ

生命の終わりを受け止めるということ

人生の終わりが近づいてくると、身体は代謝を終えようとします。以前のように多くのエネルギーを必要としなくなるわけです。
そうしてついに最終段階に来ると、もう食べなくなります。無理に食べようとすると嘔吐するか、誤嚥するか、下痢をしてしまいます。下痢は水分も排出するので脱水が併発し、逆に死期を早めてしまうわけです。
要は身体が何も受け付けなくなるといったほうが正確でしょうか。
人生の最後が近づくと食べなくなる、食べないで眠って夢の中で死ぬという、どの動物にも共通の自然の摂理であるということを介護職は忘れてはならないのです。
「食べないから死ぬ」のではなく、「死ぬのだから食べない」です。
これが、家族の方や介護職は急に怖くなります。そして入居者本人の希望ではないかもしれない延命治療を希望してしまうことも多々あります。
このときは先ほども述べましたが、寄り添う介護が必要になるのです。

ただし、施設での「看取り」を希望する家族の方は多いわけではありません。施設で亡くなるより、病院で亡くなる方が家族の方にとって世間体が悪くないのです。そのため、まだまだ「看取り」のことをよく知ってもらうことも必要でしょう。

家族が抱える3つの負担

入居者が入居して家族の方が抱える3つの負担があります。これも介護者は忘れてはいけません。

1) 物理的負担 施設の所在地と居住地が離れていると面会や急変時などの対応が負担になります。(面会が少なく、もっと面会に来てほしいというのは介護者からの目であり、状況を勘案して考えることが必要になってくるのです)責めてはいけないのです。
2) 経済的負担 入居者の年金や所得のみで、賄うことが難しいかもしれません。そのため、家族の方々が一部を負担し、家族の方の生活にも影響がでていることも把握しておく必要があるのです。
3) 身体的・心理的負担 自宅での介護による心身の疲弊や、親族の中で他に頼れる存在がいない(変わりがいない、相談相手がいない、ゴールが見えない)

といった3つの負担があるのです。
このことをきちんとアセスメントし、介護職を含めた各セクションとの連携を図り、共通の認識を共有することがとても大切なことが理解してもらえると思えます。
「看取り」はそれほど難しいテーマなのです。
しかし、今後は「看取り」希望する本人や、家族の方も増えてくるとは思われるので、「自分の施設、きちんと看取りができます」と自信(自意識過剰ではなく)をもって言えるくらいになる必要があるのではないでしょうか。

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