脳卒中の患者に対し、KiNvisを用いた新しいリハビリの研究が進んでいる
脳卒中の患者に対し、麻痺を改善するためのリハビリにはさまざまなメニューが用意されています。
近年では錯覚を用いた新しい観点によるリハビリの実用化を目指し、研究が進められています。
本記事では、その内容と有効性、将来性などについて解説します。
目次
KiNvisは手足のリハビリにおける新たなアプローチ
皆さまは手足のリハビリと聞くと、さまざまな器具を用いて、動かなくなった手や足を少しずつでも動かせるようにする作業を思い浮かべると思います。
患者は「手や足が思い通りに動かない」という苦しみを克服するために、リハビリに励みます。
そして、少しずつ動くようになった手足を見て喜びを感じることでしょう。
しかし、リハビリは誰でもうまくいくとは限りません。
なかには回復しないまま症状が固定してしまい、不自由なまま日常生活に戻らざるを得ない方もいるかもしれません。
これを解決するアプローチの1つとして、KiNvis(視覚誘導性自己運動錯覚)の活用があります。
KiNvisは「うまく手足を動かしている自分」の姿を見せて脳の活性化を促し、実際に手足を動かせるようにする目的で活用されます。
いわば、現在のリハビリとは逆のアプローチといえるでしょう。
KiNvisを用いたリハビリについては、さまざまな研究が行われています。
その中には、有効性のある結果も少なくありません。
KiNvisを用いたリハビリの有効性と実施方法
KiNvisは、脳の錯覚をリハビリに活用することが特徴です。
ここでは具体的な方法と効果について、項目ごとに解説します。
●KiNvisは脳の錯覚をリハビリに活用する方法
KiNvisは、自分自身がなにも動いていないにも関わらずあたかも自分が動いているように感じる「脳の錯覚」を、リハビリに活用する方法です。
たとえば停車中の電車に乗っているとき、隣の電車が発車するところを見ると、「自分の乗っている電車が動き出したのではないか」とあわてた経験を持つ方は多いのではないでしょうか。
KiNvisはこの原理を利用し、たとえば手や足が実際には動いていなくても、あたかも動いていると脳に認識させることが特徴です。
これは患者に対し、閉鎖空間において正常に動く手や足の動画を再生することで実現できます。
動画の一例として、麻痺していない側の手や足の動画を撮影し、左右を反転させたものなどが用いられます。
インターリハではKiNvisの活用により、患者に対して以下の影響があると記載しています。
- ○麻痺側の自己身体所有感と運動主体感を誘起
- ○皮膚感覚が残存している場合、触覚刺激との併用による感覚没入効果の増大
(引用元:インターリハ 自己運動誘導錯覚システム KiNvis)
つまりKiNvisは脳に「自分は麻痺している手や足を動かせる」という認識を持たせ、脳から該当する筋肉を動かす刺激を送るように促す効果があるというわけです。
その結果、少しずつ麻痺した部位を動かせるようになることが期待できます。
実際に柴田らは研究に参加した脳卒中片麻痺の患者から、KiNvisの活用により「四肢を動かす感覚を思い出した。動かしたくなった」という報告があったと指摘しています。
●KiNvisに必要なものや実施環境
金子が2016年に公表した「拡張現実による自己運動錯覚の誘導」では、KiNvisの実施に当たり、以下の環境を用意しています。
- ○手足など、リハビリ対象部位がきちんと動く動画を再生できるモニタ
- ○患者は安静にし、リハビリ対象部位にほかの物が接触していない状態にする
一例として、右手の指が自由に動かせない患者を考えてみましょう。
あらかじめ、右手の指がきちんと動く動画を再生できるモニタを用意しておきます。
このモニタは不自由な右手を隠すように、また自然に見える位置に置く必要があります。
たとえばモニタと右腕の位置がずれていると、画面に映る映像は右手として認識されず、ただの「誰かの右手を動かした動画」としか認識されません。
このため、以下のどちらかの対応が必要です。
- ○モニタを右腕と連続するように配置し、かつ自然に見えるようにする
- ○モニタを本来右手が来る位置に配置する(このとき、モニタと右腕の接続部分は隠す)
上記いずれかの対応を取ることにより、患者にはモニタの映像があたかも自分の右手そのものであるかのように認識されます。
またKiNvisを行う際には安静にし、リハビリ対象部位に刺激を与えないことが重要です。
それはモニタに映る手の映像がまるで自分の右手のように見えるといった、いわば「錯覚」を持たせる必要があるためです。
たとえば腕になにかが触れている状態でKiNvisを実施した場合、余計な刺激が入ってしまいます。
この場合、患者はモニタの映像が自分の体という認識を持ちにくくなってしまいます。
KiNvisを用いたリハビリで得られた効果
KiNvisを用いたリハビリについては、2016年以降さかんに研究が行われています。
ここでは脳卒中の患者に対する研究で得られた効果について、上肢と下肢に分けて代表的な例を解説します。
●上肢へのリハビリで得られた効果
金子は2019年の「バイオメカニズム学会誌」において、脳卒中により上肢に片麻痺が生じた患者に対し、KiNvisを用いてリハビリを行った研究結果を報告しています。
この研究では脳卒中発症後半年以上経過した患者に対して、以下の要領でトレーニングを行いました。
- ○1日当たり20分間のKiNvis療法を実施後、運動療法を行う
- ○上記のトレーニングを10日間実施
複数の患者に対してトレーニングを行い、上肢の運動機能における改善が得られています。
なかには積み木のブロックを持てなかった患者が、スプーンを使えるまでに回復した事例もあります。
●下肢へのリハビリで得られた効果
酒井らは2018年の「理学療法科学」において、脳卒中により下肢に片麻痺が生じた患者に対し、KiNvisを用いた研究結果を報告しています。
この研究では脳卒中発症後52日~170日経過した患者に対して、以下の要領で効果の検証を行いました。
- ○あらかじめ、麻痺していない側の足を動かした映像を撮影し、動画にしておく
- ○KiNvisを用いて5分間、あらかじめ撮影した動画を見せる(その際、麻痺している側の足を動かしていると思うよう指示する)
- ○KiNvisの使用前と使用後に、それぞれ10m最大歩行速度を計測する
上記の結果、1回KiNvisを使っただけで以下の項目の改善が得られています。
- ○足関節背屈自動運動角度
- ○10m最大歩行速度
このため下肢においては、KiNvisの利用により速やかに麻痺が改善する可能性があると考えられます。
将来におけるKiNvisの可能性
ここまで解説した通り、KiNvisにはこれまでのリハビリにはない効果が期待できます。
またIT技術の進展により、さらに効果的な活用も期待できます。
本記事の最後では、KiNvisの可能性について解説します。
●ヘッドマウントディスプレイの活用でより自然に見え、活用の場所も広がる
KiNvisは近年、ヘッドマウントディスプレイのタイプも現れており、脳卒中片麻痺患者を対象とした研究に活用されています。
ヘッドマウントディスプレイタイプのKiNvisは、手や足のある位置にディスプレイを置く代わりに、患者にメガネ型のディスプレイを装着してもらうことが特徴です。
そのため閉鎖空間を作らなくても、3Dで動く手や足の映像を映し出すことが可能です。
このため、映し出されている手や足が自分のものと認識しやすくなり、リハビリの効果を高めることが期待できます。
加えて持ち運びもしやすいため、ベッドサイドや在宅など、活用の幅が広がる可能性もあります。
●さまざまな研究者により検証が行われることで、より多くの患者が恩恵を受けやすくなる
KiNvisを活用した論文は、学術雑誌やWebサイトなどで多数発表されています。
多くの論文は共同研究という形で行われているものの、その中には特定の研究者の氏名が入っている場合が多いです。
このため、さまざまな研究者により検証が活発に行われるという段階には至っていません。
今後は多くの研究者がKiNvisに関する研究や検証を行うことで、より良いシステムになると考えられます。
また多くの方が関心を持つことで、より多くの患者がKiNvisの恩恵を受けやすくなることも期待できます。
KiNvisは脳卒中患者のリハビリに希望を与える
KiNvisは、従来のリハビリと異なるアプローチです。
そのためほかのリハビリで効果が上がらなかった患者でも、症状の改善ができる可能性があります。
なかには、速やかに改善がみられた研究結果もあります。
この点でKiNvisは、脳卒中で片麻痺となった患者に希望を与える方法といえるでしょう。
患者を対象とした研究は手や足それぞれに対して進められていますから、今後の研究内容や結果を注視することが重要です。
参考:
金子文成 拡張現実による自己運動錯覚の誘導―脳卒中による感覚・運動機能障害に対する新しい治療方法として―.(2019年11月24日引用)※2016年の記事
金子文成, 稲田亨, 他: 四肢の視覚誘導性自己運動錯覚に係る生理学的機序とリハビリテーションへの応用.(2019年11月24日引用)※2016年の記事
酒井克也, 川崎翼, 他: 足関節運動の視覚誘導性自己運動錯覚が運動イメージに与える影響.(2019年11月24日引用)※2019年の記事
柴田恵理子, 金子文成, 他 Brain-Machine Interfaceへの応用を目的とした視覚誘導性自己運動錯覚中の脳波解析.(2019年11月24日引用)※2018年の記事
岡和田愛美, 金子文成: 脳内身体認知に対するアプローチとしての仮想的運動感覚(運動錯覚)誘導システムの開発. PTジャーナル第53巻第7号: 689-696, 2019.
金子文成: バーチャルリアリティ技術を用いたアプローチによる中枢神経損傷後の感覚運動麻痺治療の開発. バイオメカニズム学会誌Vol.43 No.1: 29-34, 2019.
酒井克也, 池田由美, 他: 視覚誘導性自己運動錯覚が脳卒中片麻痺患者の足関節背屈運動機能障害に与える即時効果の検討. 理学療法科学第33巻第2号: 277-280, 2018.
インターリハ 自己運動誘導錯覚システムKiNvis.(2019年11月26日引用)
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執筆者
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千葉県在住で、ITエンジニアとして約14年間の勤務経験があります。過去には家族が特別養護老人ホームに入所していたこともありました。2018年からは関東にある私大薬学部の模擬患者として、学生の教育にも協力しています。
現在はライターとして、OG WellnessのほかにもIT系のWebサイトなどで読者に役立つ記事を寄稿しています。
保有資格:第二種電気工事士、テクニカルエンジニア(システム管理)、初級システムアドミニストレータ