下水の調査で、新型コロナウイルス感染拡大の兆候をつかむ。最新の研究や技術を紹介
もし新型コロナウイルスの感染者が増える兆候を事前に知る方法があれば、先手を打って対応することが可能です。
感染拡大から1年経ち、下水の調査は有力な手法の1つとなっています。
本記事では、感染拡大の兆候をつかむ研究や技術を紹介します。
目次
下水の調査により、感染拡大の兆候を早期につかめる
下水の調査により、新型コロナウイルスの感染者が増加する前に兆候をつかみ、先手を打った対策が可能です。
本記事ではまず、この理由と調査結果について解説します。
また下水から感染するリスクは低いことにも、触れていきます。
●ウイルスは下水にも出る
新型コロナウイルスが持っているRNAは、感染者の糞便から検出されることがわかっています。
RNAはリボ核酸と呼び、DNAの情報を転写し指定したタンパク質を作る働きをしています。
下水道が整備済みの地域では、糞便も流れていきます。
そのため世界中で下水の調査を行い、感染拡大との関連性を調べる研究が行われています。
●下水のウイルス量は、感染者の増加に先立って上昇する
国内外の研究結果から、下水に含まれるウイルス量は感染者の増加に先立って上昇することがわかっています。
上昇を始めるタイミングは以下のようにばらつきがありますが、数日前と考えると良いでしょう。
調査を行った地域 | 調査時期 | 検出量や回数が増えるタイミング |
---|---|---|
アメリカ・コネチカット州 | 2020年3月~4月 | 陽性者数が変動する7日前 入院患者数が変動する3日前 |
カナダ・オタワ市 | 2020年7月~9月 | 感染拡大の3~6日前 |
石川県・富山県 | 2020年3月~5月 | 感染者が増加する7~10日前 |
これにより1週間後に患者が増えるかどうか、予兆を知ることができます。
陽性者が少ない状況でも下水のウイルス量が多い場合は、今後患者さんが急増するリスクがあるため注意しなければなりません。
●下水から感染するリスクは低い
皆さまのなかには、以下のような不安を持つ方もいるかもしれません。
- ○下水からの感染
- ○下水処理場からウイルスがすり抜ける
- ○海や川の安全性
これに対して、東京都下水道局は「下水から感染するリスクは低いと考えられる」ことを公表しています。
関連して北島らは、以下の研究結果を報告しました。
- ○20℃の下水中の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は1.6日で90%が不活化する
- ○ウイルスRNAは下水中で感染性ウイルスよりも長期間にわたって残存する
引用:北島正章, 原本英司: 新型コロナウイルスの下水疫学調査. 水環境学会誌 Vol.43 No.12: 415, 2020.
上記より、下水中の新型コロナウイルスはしばらく存在し続けるものの、1.6日経過すると1割しか感染力を持たなくなる(20℃の場合)わけです。
加えて塩素消毒も、有効な手段に挙げられます。
原本らは「1リットル当たり10mgの濃度の塩素と10分間接触することで、完全に活性を失う」ことを述べています。
下水処理場では放流前に塩素消毒を実施していますので、下水による感染を気にする必要はありません。
国内でも、下水からウイルスが見つかった
日本国内でも都市部・地方を問わず、下水からウイルスが見つかっています。
ここでは3つの地域について、特徴を取り上げながら解説します。
●その1:富山県・石川県
富山県立大学と金沢大学の研究グループは、石川県・富山県の下水から新型コロナウイルスの遺伝子を複数回検出しました。
2020年3月5日から週1回の割合で下水処理場に流入する下水を採取し、調査しています。
石川県では2020年4月初旬から、富山県では2020年4月中旬から、それぞれ入院患者数が急増しました。
一方で下水から初めて検出されたタイミングは、以下の通りです。
- ○石川県で採取した試料:2020年3月19日頃
- ○富山県で採取した試料:2020年4月2日頃
入院患者数が急増する10日ほど前から、検出され始めることがわかります。
また調査では、以下の内容も報告されています。
- ○10万人当たりの陽性者数が10人を超えた段階で、下水から検出されやすくなる
- ○陽性者が増加中の場合は、下水から検出されやすい(常に検出されるわけではない)
●その2:横浜市
横浜市衛生研究所は、毎月1回以上の頻度で下水を採水しています。
2018年1月から2020年5月に採水した下水を分析し、このうち2020年4月21日の試料から新型コロナウイルスのRNAを検出しました。
- ○市北部地域の流入下水濃縮物
- ○市南部地域の沈殿物
横浜市における2020年3月から5月の感染者数は、以下の通りでした。
期間(2020年) | 期間中の感染者数(合計) | 備考 |
---|---|---|
3月19日~3月25日 | 2名 | 3月25日が採水日 |
3月28日~4月3日 | 32名 | |
4月2日~4月8日 | 65名 | |
4月5日~4月11日 | 100名 | |
4月10日~4月16日 | 116名 | |
4月12日~4月18日 | 81名 | |
4月15日~4月21日 | 76名 | 4月21日が採水日 |
5月14日~5月20日 | 52名 | 5月20日が採水日 |
参考:
横浜市 横浜市内の陽性患者の発生状況データ・相談件数
国立感染症研究所 環境水調査による新型コロナウイルスの下水からの検出
2020年3月・4月・5月を比較すると、4月採水時の感染者数が最多。
国立感染症研究所は、「新型コロナウイルスの便中排泄期間は平均で発症後27.9日」と公表しています。
4月採水時の下水には3月下旬以降に排泄されたウイルスが存在しうるため、ピークを少し過ぎた段階でも見つかったと考えられます。
●その3:山梨県
原本と北島の研究グループは、新型コロナウイルスの感染拡大早期から、山梨県内の下水を用いてウイルスを検出する研究に携わっていました。
2020年3月後半から5月初旬にかけて、5回に分けて以下の水を採取し、調査を行いました。
月日(2020年) | 下水流入水 | 塩素消毒前下水処理水 | 河川水 |
---|---|---|---|
3月17日 | 非検出 | 非検出 | (採取せず) |
4月14日 | 非検出 | 検出(検出限界値をわずかに上回る) | (採取せず) |
4月22日 | 非検出 | 非検出 | 非検出 |
4月30日 | 非検出 | 非検出 | 非検出 |
5月7日 | 非検出 | 非検出 | 非検出 |
参考:原本英司, 北島正章: 下水および河川水中における新型コロナウイルスRNAの存在実態に関する国内初の環境調査. 水道公論第56巻第8号: 64-67, 2020.
上記に示した通り、4月14日に検出されました。
このときの山梨県内における感染者数は、以下の通りです。
期間 | 新規感染者数の合計 |
---|---|
3月27日~4月2日 | 5名 |
3月29日~4月4日 | 8名 |
3月31日~4月6日 | 14名 |
4月5日~4月11日 | 21名 |
4月8日~4月14日 | 15名 |
4月16日~4月22日 | 11名 |
4月18日~4月24日 | 5名 |
参考:山梨県 新型コロナウイルス感染症に関する統計情報(発生状況、検査状況、相談件数) (参考)令和2年9月までの推移
2020年4月上旬に感染者数がピークに達し、その後は減少傾向に転じています。
感染者数が最も多いタイミングで調査を行えたのは4月14日。
このことも、下水から見つけられた理由の1つと考えられます。
下水からの検出方法も確立された
2021年3月30日に、日本水環境学会から「下水中の新型コロナウイルス遺伝子検出マニュアル」が公表されました。
これは、下水からの検出方法が確立されたことを意味します。
実際に活用する際には、PCR検査が可能なことが求められます。
マニュアルには、以下の内容を含んでいます。
- ○採水、輸送、保存方法
- ○ウイルスの濃縮方法
- ○ウイルスの検出手順
- ○試料を取り扱う際の安全管理や、服装や装備、作業後の手指衛生など
- ○実験室設備や作業方式における安全管理
詳しい内容は、マニュアルをご参照ください。
下水を調査する取り組みへの期待と課題
下水の調査は単に感染拡大の予兆を知るだけでなく、さまざまな期待があります。
一方で検査にかかわる課題も指摘されており、これを克服する技術も開発。
ここからは期待と課題を3つ取り上げ、解説を進めます。
●市民の身体的な負担なく、地域の流行状況を把握できる手段となり得る
下水の調査は市民一人ひとりの感染状況がわからなくても、地域の流行状況を把握できる可能性がある方法です。
これはPCR検査や抗原検査のように、感染疑いの方一人ひとりに身体的な負担をかけ、協力を得る検査と大きく異なります。
感染の広がりを早期に検出することで、以下の施策を取りやすくなるメリットがあります。
- ○市民への周知を行い、感染拡大への警戒を促す
- ○感染が広がりやすい施設への時短や休業要請
- ○「まん延防止等重点措置」や「緊急事態宣言」の発出
- ○コロナ患者向け病床の確保を早期に要請できる
下水のウイルス量は、感染者数の増加よりも3~10日先行して上昇します。
一方で、対策の効果が上がるまでにはある程度の日数を要します。
このため下水のウイルス量が上昇した後に対策を取り始めても、実施直後から速やかに感染者数の上昇を抑えることは困難です。
しかし対策を始めてからしばらく経過すると効果が現れ、早期に事態の収拾を図れることが期待できます。
●感染者数が減少する指標として使える可能性もある
下水のウイルス量が感染者の増加を示す指標として使えるならば、減少する指標としても使えるのではないかという考えもあるでしょう。
実際にコネチカット州のデータでは、新規陽性者数が増加する前にウイルスのRNA濃度が増え、減少する前にウイルス量が減る結果が得られています。
しかし2021年初めの時点では、「感染収束の判断に使える可能性がある」というレベルにとどまっています。
今後の研究に期待が持てる分野といえるでしょう。
●下水のウイルス量は微量となる場合が多い。検出技術の向上に期待
地域の感染者数が少数の場合は、下水のウイルス量も少なくなります。
このため実際はウイルスが存在していても、検出できる下限の値を下回るため検出できない事態が起こり得ます。
さきに解説した原本らの研究で1例だけ検出されたことは、その一例です。
塩野義製薬は北海道大学と共同で、高感度でウイルスを検出できる技術を開発しました。
日刊工業新聞は「100万人中1人の感染者を検出でき、検体の解析作業を約10倍効率化できる」と報じています。
地域で感染が広がる初期の段階から、状況の変化を追跡できることが期待されます。
下水の情報を活用し、まん延防止の施策に生かすことを期待
下水の調査により、感染者数の増加を察知できる点は大きなメリットです。
PCR検査や抗原検査のように患者さんの負担がなく、感染者数が増加しても手間が増えないことも見逃せないポイント。
微量のウイルスを検出できる技術も開発されたため、これから期待される手法といえます。
今後は、感染者数が減少する指標としての可能性も考えられます。
下水の情報をうまく活用し、まん延防止の施策に生かすことを期待します。
参考:
北島正章, 原本英司: 新型コロナウイルスの下水疫学調査. 水環境学会誌 Vol.43 No.12: 413-416, 2020.
ヤマサ醤油 核酸とは(2021年4月26日引用)
NHK 高校講座 生物基礎 第14回 セントラルドグマ(2021年4月25日引用)
吉村和就: 新型コロナウイルスの感染拡大予知は下水から. 月刊カレント 2021.1: 18-23, 2021.
東京都下水道局 新型コロナウイルス感染症関連情報 下水の安全性について(2021年4月25日引用)
原本英司, 北島正章: 下水および河川水中における新型コロナウイルスRNAの存在実態に関する国内初の環境調査. 水道公論第56巻第8号: 62-68, 2020.
富山県立大学 国内下水試料中の新型コロナウイルスの検出(2021年4月25日引用)
国立感染症研究所 環境水調査による新型コロナウイルスの下水からの検出(2021年4月25日引用)
横浜市 横浜市内の陽性患者の発生状況データ・相談件数(2021年4月25日引用)
山梨県 山梨県のモニタリング週報 令和2年8月28日(2021年4月25日引用)
山梨県 新型コロナウイルス感染症に関する統計情報(発生状況、検査状況、相談件数) (参考)令和2年9月までの推移(2021年4月25日引用)
日本水環境学会(2021年4月26日引用)
日本水環境学会 下水中の新型コロナウイルス遺伝子検出マニュアル(2021年4月25日引用)
日本水環境学会 FAQ:下水中の新型コロナウイルス遺伝子検出マニュアル(2021年4月25日引用)
医療法人社団クリノヴェイション PCR検査と抗原検査と抗体検査の違いって?(2021年4月27日引用)
田中宏明: COVID-19の公衆衛生情報を集める下水道の新たな役割と課題. 環境技術 Vol.50 No.1: 41-45, 2021.
日刊工業新聞社 ニュースイッチ 感度は100倍!塩野義製薬が下水の新型コロナウイルス検出で新技術(2021年4月25日引用)
北海道大学 下水中の新型コロナウイルスの自動解析体制構築へ~ウイルス感染症流行及び変異株の早期検知・大量検査インフラの構築に期待~(2021年4月25日引用)
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執筆者
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千葉県在住で、ITエンジニアとして約14年間の勤務経験があります。過去には家族が特別養護老人ホームに入所していたこともありました。2018年からは関東にある私大薬学部の模擬患者として、学生の教育にも協力しています。
現在はライターとして、OG WellnessのほかにもIT系のWebサイトなどで読者に役立つ記事を寄稿しています。
保有資格:第二種電気工事士、テクニカルエンジニア(システム管理)、初級システムアドミニストレータ